Home > ニュース > アジアの風 レハ・エルデム監督 インタビュー 第2回(10/26)
ニュース一覧へ 前のページへ戻る previous next
2010.10.26
[インタビュー]
アジアの風 レハ・エルデム監督 インタビュー 第2回(10/26)

レハ・エルデム監督

上映後のQ&Aで終始寡黙な印象を讃えていたエルデム監督だが、インタビューでは、登場人物(フィギュア)の造型やイメージの膨らませかたを熱心に語ってくれているのがひときわ印象的だ。とくにフィギュアについての話は、これから語られるコスモスの人物設定とも大いに関連がありそうでもある。では早速、映画愛と内省に満ちた言葉の後半部分をお届けしよう。
©2010 TIFF

――『月よ』のQ&Aの時に好きな映画作家を挙げていましたが、通訳されなかったため名前を聞きそびれてしまいました。ここでもう1度教えてもらえませんか?

50年代アメリカの白黒映画の作家では、オーソン・ウエルズ、ハワード・ホークス、オットー・プレミンガーが好きです。日本映画では溝口健二、黒澤明、小津安二郎です。ヨーロッパの映画監督ではロッセリーニ、ブレッソン、ジャン・ルノアール、イングマール・ベルイマン。現代の映画監督ではツァイ・ミンリャン、今年、『ブンミおじさん』でカンヌの賞を獲ったアピチャッポン・ウィーラセタクン、アルゼンチンの女性監督ルクレシア・マルテルの3人が映画の境界を越える新たなる境地に立った人たちです。小津安二郎について先ほど同じことをやり続けているという話がありましたが、1本の映画はひとつの全体の各部であり、各パーツをはめ込めば全体になるーーわたしはそんなふうに思っています。自伝か日記で読んだのかもしれませんが。いかにも日本的な、細やかなリズムという印象があります。

――『ママ、こわいよ』の最後で登場人物が一同集まり、「ママこわいよ」という2人の息子の叫びを耳にします。その後、画面は彼らが住むアパートメントに切り替わり、室内や風になびく洗濯物といった無人のショットを9カット示して映画は終わります。この終わらせ方は、とても小津的ですね。

意識したわけではありませんが、そう言われると思うところはあります。いろんなことが起こり、怒ったり、いがみあったりした後で、人々が住む家の調度品が出てくると、ちょっと癒されるような感じになります。パンツが干してあったり、履き潰した靴が床にあったり、そうしたモノを見ることによって、それまでの葛藤もすっと引くような気持ちになる。こうした寛容性をテーマにしたからこそ「人間なんて何だ」(『ママ、こわいよ』の当初の題名)だったわけです。

――最新作『コスモス』は将来的に監督のフィルモグラフィーを眺めてみた時に、かつてない緊張感をともなった、とても重要な作品ではないかと思います。Q&Aの時に話していましたが、『月よ』に登場する僧院の管理人が、映画では呼び名がありませんが、脚本ではコスモスという名だったとのことでした。この人物は母のいない不幸な少女を救済に導くために設定されたとの話でしたが、今回の映画の主人公であるコスモスは、原人、ヒーラー(治療者)、働かないで罰せられたロシアの詩人ブロツキーを思わせるような徒食者、盗人といろんな人物がミクスチャーされています。コスモスという人物像の発展は、監督にとってなにを意味されるのですか?

『月よ』を完成させた後、資金的な問題で実現できなかった企画があり、その時も実は主人公の名前はコスモスでした。コスモスという名前に私はこだわりがあるわけで、今回のコスモスが『月よ』の人物から導かれたわけではありません。コスモスはありえない人、超人、スーパーヒーロー、しかし最も理想的な人です。私の他の作品では、男というものはすべてダメ人間ですが、このコスモスだけはそうではありません。少々漫画的なところはありますが、それでも私がもっともなりたいと思う人物です。実際には勇気がなくて、そうなることは不可能なわけですが。病気の人を治療する場面がありますが、実際に治療しているのかはわかりません。確かにお金を盗みますが、ただ盗るだけで、それを貯めこんで何かするというわけでもない。私にしてみれば、盗ったお金を貯めこむ方がよほど大きな罪です。その点、コスモスは気前がいい。そして新車を買うためにあくせくすることもなく、ただ労働を拒否している。恋がしたいというとてもシンプルな理由からです。聖なる経典のような話もするのでなかなか理解されません。でも私が爪の垢でも呑みたいと思うのは、こんな人物です。

――コスモスがヒーラーとしての能力を失うきっかけになる場面が、衛星ロケットの墜落であることに非常に驚かされました。昔、ソビエトにコスモス衛星というのがあって、軍事用、航行用など何千機も打ち上げられていましたね。原子炉を積んだコスモス954号がカナダの領土に墜落し、放射能汚染を撒き散らしたのは有名な話です。映画はこうした予備知識がなくても、十分にいろんなことを感じさせてくれますが、コスモス衛星のことはやはり監督の頭の中にあったのですか?

人工衛星のことはもちろん知っていました。ただ言っておきたいのは、コスモスはヒーラーとしての能力を失ったわけではなく、できる時もあればできない時もある。そういうふうに信じさせているに過ぎないということです。女性の先生を治すことはできなかったけど、喘息の老人は治せたし、塞ぎこんだ子供は話せるようになった。でもそれはコスモスのおかげかも知れないし、そうじゃないかもしれない。生活上の別の何かがあってそうなっただけなのかもしれない。ヒーラーというのは、実際にはそうした諸要素がうまくマッチングした時に道を指し示す存在ではないでしょうか。いずれにしても、道を示せないコスモスを人々がバッシングするのは、それは他者だからです。一方、尊ばれるのは治世者であり、軍人ですが、こうした連中はなんら人々に利益をもたらすわけではありません。人工衛星に話を戻せば、あれは撮影のために作ったものであり、ボディにはロシア語で言葉が記してありました。映画の中の衛星の墜落とヒーラー能力の停滞は偶然ですが、実際のところソビエトとトルコは国境を接しており、衛星ロケットが空から墜ちてくることもありました(笑)。衛星は墜落しますが、コスモスは重力に抗って生きることを求めるのです。

(聞き手:赤塚成人)


第1回インタビューへ戻る
レハ・エルデム監督全集一覧


previous next
KEIRIN.JP本映画祭は、競輪の補助を受けて開催します。TIFF History
第22回 東京国際映画祭(2009年度)