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2010.10.30
[イベントレポート]
10/30(土)コンペティション 『ビューティフル・ボーイ』 公式記者会見のご報告

 『ビューティフル・ボーイ』 公式記者会見のご報告

■日時・場所:10月30日(土) 13:00~ @TIFF movie café
■登壇者:ショーン・クー (監督/脚本)
©2010 TIFF


ショーン・クー監督(以下、監督): 『ビューティフル・ボーイ』は、私の長編デビュー作です。東京国際映画祭にお招きいただき、本作品アジアプレミア上映となりました。実は、飛行機の乗換えで空港までは来たことがあったんですが、実際に日本の地に足を降ろすのは初めてのことで、あいにくの雨ですが、ファンタスティックな東京を満喫したいと思います。

Q: 映画のテーマは、ある悲劇が起きた時の親子関係や夫婦関係に生じる亀裂があらわになり、またそれが修復されるという普遍的なものですが、描かれている事件は特殊なものです。実際の事件に触発されたということですが、脚本を書く段階で、事件の被害者あるいは加害者に取材をされたのでしょうか?

監督: 事件の当事者とはなかなか接触できません。色々と調査はしましたが、ほとんどの家族は姿を消してしまうと言いますか、他の土地へ引っ越して行ってしまっています。事件にかかわっていたことを知られまいとひっそりと暮らしています。既に色々なかたちで追いまわされ続けているわけで、ですから脚本のほとんどは、その立場に置かれたらどう思うかという私の自己分析です。ただ、撮影の数週間前になって、コロンバイン高校銃乱射事件で銃を乱射した学生のうちの一人の母親であるスーザン・クレボルトさんが、オプラの取材に応じている雑誌記事をマリア・ベロ(ケイト役)と読みました。それで、自分たちが描いていた方向性が正しかったのだと実感しました。母親として、愛すべき息子 ― 『ビューティフルボーイ』 ― としての記憶を心に留めていようと大変な努力をしているように見受けました。事件を起こした息子自身も、周囲の悪影響を受けた犠牲者なのだと、彼を守る姿勢を崩しませんでした。
おそらく銃を携帯するということ自体、日本の皆さまにとっては異質なことだと思います。私にとっても、実際に銃を見ることなく育ちましたから、無縁なものです。でも多くのアメリカの家庭では、自宅に銃を持っています。この映画をつくる上で、少しは銃を知らないといけないと思い、射撃練習場へ行って、何度か紙のターゲットを狙って銃を撃ってみました。アメリカでは安い料金で気軽に利用できますからね。実際に銃を手にして、何て簡単に引き金を引くことができるのだろう、銃があれば人を簡単に殺すことができてしまう、と実感しました。人生を変えるような経験でした。
©2010 TIFF

Q: マイケル・シーンをキャスティングした理由、素晴らしい演技でしたが、演出についてはどのような話をしましたか?

監督: 出演依頼をする際に、彼とは、長い時間をかけて話し合いをしました。興味深いことに、マイケルとマリアのアプローチは正反対でした。マイケルは知性的な俳優で、十分に下調べをしたり、たくさん質問してきたりと、役どころについて頭できちんと納得して演技するタイプの俳優です。彼は、実存した人々を演じることができる役者です。つい最近、トニー・ブレア役やサッカーの監督の役や、実際に会いに行ける人物を演じています。彼と役作りの作業を一緒にできることは、私にとっても良い経験でした。とにかく、彼とは人生や子ども、家庭、壊れた関係などについて話し合いました。マイケルもマリアも、シングルペアレントなんです。ですから撮影を通して、それぞれと、あるいは3人であるいはその他の俳優と、自らの人生経験を含め、様々なことを深く話し合いました。私とは似たような子ども時代を過ごしていたようで、ものすごく理解し合うことができました。
マリアの方は、もっと直感的に役作りをするタイプの俳優です。自分自身の本来の心のスイッチを切って、演じている人物として起きていることに本能的に反応します。彼女の役作りのプロセスは、マイケルとはまるで反対で、直感的に反応できるようにするために、あまり準備し過ぎないようにしています。
それぞれの役に適した俳優だったと思います。父親は頭で考えて行動するタイプ、母親はより感情が先行するタイプでしたから。

Q: アメリカ社会は実際に、被告側の家族を受け入れてくれるのでしょうか。

監督: アメリカ社会は、何か事件が起きた時に、責任の所在をはっきりさせ罰を与えるべきだと考える傾向があります。この「罰」というのは、必ずしも政府の定める刑法ということではなく、人間に対する非難、とがめです。実際は、被告側の家族が元の職場に戻れる確率は少ないと思います。ただ、絶望した人間は、自分の存在を取り戻すためにも普通の生活に戻ろうとするのだと思います。映画の中では、ひとつの家族は町に留まり、もう一方の家族は町を出て行きます。このような悲劇を経験すると、家族はバラバラになりがちですが、映画では元々バラバラだった家族が事件を通してその関係を修復していくといった、少しはハッピーエンディング的な要素を取り入れたかったんです。

好きな日本映画について尋ねられ、「映画のスタイルを考える上で撮影監督と共に各国の色々な映画を見ましたが、是枝裕和監督の『誰も知らない』は、シンプルで、リアルで、温かい語り口で、気に入りました」というクー監督。初の東京滞在を満喫されている中、少々雨が恨めしい様子でした。

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