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2010.10.28
[イベントレポート]
アジアの風『追伸』10/28(木) Q&A

アジアの風『追伸』10/28(木) Q&A

10月28日(木)、アジアの風『追伸』の上映後、ヤルキン・トゥイチエフ監督が登壇、Q&Aが行われました。
©2010 TIFF

ヤルキン・トゥイチエフ監督(以下 監督):
このような盛大なフェスティバルにお招きいただきましたことに対しまして、フェスティバル事務局に心から御礼申し上げます。
私は今回が初めての日本で、私の映画が日本で上映されるのも初めてのことになります。
この映画が少しでもみなさまに気に入っていただけたならと思います。
みなさまが貴重な時間を割いて、この映画においでくださったことに感謝いたします。ありがとうございました。

――『追伸』について、ウズベキスタンというのは砂漠の多い地域だと思っていたんですけれども、今回、結構山の多いところで撮影されているんですが、ストーリー背景などもあったかと思いますが、なぜそのような地域を選ばれたのかお話いただけませんでしょうか。

監督:私にとってウズベキスタンという国が一番最初に砂漠を連想するということはありません。砂漠というより草原の国・ステップの国と考えております。私自身もどちらかというと山のある地方の出身です。砂漠より山や草原の方がふるさとに近いわけです。

Q:『追伸』非常におもしろい作品で、まさに私の好きなタイプの作品でした。映画の最後の方で、“追伸”と付きまして、ワンシーン追加されていましたけど、あれは時系列でいったら、映画の最中でのできごとだったんでしょうか、それともすべてが終わったあと文字通り最後の場面だったんでしょうか。教えてください。

監督:脚本上、もともとあのシーンは最後に置かれておりました。これは、観客に宛てた手紙の最後に付け加えられた追伸のようなものです。

Q:すごく難解な映画で、この映画を観るのは(この映画祭ですでに1度観て)2回目なのですが、まだ分からないところがいっぱいあります。
全体的に神話のモチーフがたくさん出てくる中で、たまに現実的な歴史や政治に関わるようなことがいくつか出てきたんですが、途中出てきて分からないなと思ったのが、ヒトラーの映像と壁の中からあらわれた“鎚と鎌”のシーンなのですが。こういうことを直接お伺いするのはタブーなのかもしれないのですが、せっかくなのであのシーンの意味するところをお伺いできればと思います。

監督:まず、政治的な背景、下敷きというのはここでは何もありません。あれらのシーンは人間の、あるいは主人公の心理の影の部分、暗い面、悪意といいましょうか、文字通りではありませんが、そういうものの反映なんです。
人間の中に蓄積されてきた否定的なものがどんどん膨れあがってきて、それが解放される、外に出てくるということです。
つまり、私が示したかったのは、このようにして次第次第に主人公が殺害というものに向かっていくということです。
殺害と申しましたけれど、文字通りの意味での殺害というよりは、彼自身が理解していないものを撲滅したい破壊したいという衝動です。
©2010 TIFF

Q:弟さんが大学教授か講師か、知的な仕事に関わっていらっしゃるとのことですが、それにも関わらず(映画の中で)あんなちゃらんぽらんな軽薄な描かれかたをしているのにちょっと不自然な感じがました。ウズベキスタンでは、こういう仕事に従事している人に対するうさんくさい目とか偏見とかあるんでしょうか。

監督:私が国民全体を代弁するということはできないと思いますが、人はそれぞれだと思いまして、わが国の知的労働に携わっている人々が全員あんな風というわけではありません。
ですから、人の見方はいろいろで、知的労働に敬意を示す人たちもいますし、中には私のように映画に携わっていることに対して、働いているんではなく、たんに遊んでいるんだ楽しんでいるんだという見方をする人もいます。知的労働が仕事であると見ない人も存在します。

Q:映画についての質問というよりは、ウズベキスタンについての質問になってしまうかもしれないんですが、(映画の中で)お兄さんや山岳地帯の人たちが四角形の帽子をかぶっているのを見かけたんですが、弟さんがかぶっているのはあまり見かけなくて、その帽子の意味ですとか、都会にいる人はもうかぶらなくなってきているのかなど、そういう背景があれば教えていただきたいのですが。

監督:この帽子はチュベチュイカというんですが、伝統というよりは、どちらかというと古い世代の人がかぶっている民族的な帽子です。
若者はあまりかぶらなくなってきましたね。皆さま方の国の着物と同じではないでしょうか。

Q:今までに観たことないような映画で、たぶんイスラム教だと思うんですが、その人たちの中に旧約聖書ですとか、ギリシャ神話のモチーフが入っていてとても不思議な気持ちになりました。
こういう、カインとアベルの話を使った物語はほかにもあったと思うんですが、そういう場合、受け取る印象がもっと追い詰められたというか厳しい感じがするんですけれども、この映画はどこか開かれたというか救いのある感じがしたのが不思議でした。
質問ですが、こういういろんなものが複合的に入ったものは、ウズベキスタンの人たちにはどのように受け取られたんでしょうか。

監督:私のこの映画、この映画だけではなく、私が最近している仕事というのは、それほど国では、私がそうであって欲しいと願うほど、良好に受け止められてはおりません。ちょっと理解しにくい、分からないじゃないかといわれております。
「あいつがまたアーティスティックな、なんだかよく分からない芸術映画を作りやがって」というように言われることがあります。
もちろん、囚われの女性を救出に行くというような勇ましい男性といったストーリーの方が一般受けするのが当然だと思います。

Q:タイトルを『追伸』にした意図は何でしょうか。

監督:大変難しいご質問です。
それはすべて映画のコンテキストの中で考えるべきもので、タイトルだけ取り出して別個で考えるというのは難しいことです。
私にとって、すべての文化遺産というのは痕跡であって、数百年、数十年を経て、人の意識の中によみがえってきて、その人に作用を及ぼすものであります。
分かりやすくご説明すれば、ポストスクリプトというのは、私にとって、何かの行動、あるいはヒストリーの結果なんです。それによってもたらされた影響なんです。

Q:タシュケントの街というのはロケ地として分かったのですが、家族が住んでいる地方のロケ地はどこか教えていただけますか。

監督:ナマンガン州チュスト市のガバーという集落です。キルギスタンの国境に近いあたりです。


ヤルキン・トゥイチエフ監督インタビュー
コチラから

『追伸』
→作品詳細


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