2010.10.25
[イベントレポート]
コンペティション『一粒の麦』10/25(月) Q&A
10月25日(月)コンペティション『一粒の麦』のQ&Aが行われました。
シニツァ・ドラギン監督(以下:監督):私は今回初めて日本に訪れました。ホテルの周りを妻と散策して「なんて東京というのは母国のルーマニアと違うのだろうか」と話していました。だから皆様がこの映画を観て驚いたり、信じられなかったりした部分があるかもしれません。でも、願わくは、この映画が皆様とルーマニアをつなぐ、ひとつの橋になってくれたらと思います。そして、信じられないかも知れませんが、この映画の様なことが実際に起きているということをご理解いただけたら幸いです。
イオアナ・バルブさん(以下:イオアナ):実は私はこの映画を観るのが初めてなんです。だから、私にとってもプレミア上映でした。
(ドラギン監督から:わざと見せなかったんだよ。だから、イオアナも聞きたいことがあったらQ&Aに参加するといいよ。)
私は今日映画をご覧いただいた方が、この映画を気に入ってくれて、そして理解してもらえたら嬉しいです。
――矢田部プログラミングディレクターからプレイベントで、「この作品はとにかくラストが素晴らしい」と紹介されていたので見に来たのですが、本当に期待以上の素晴らしいエンディングだったと思います。そこでお伺いしたいのですが、この話は聖書の一説が最後に出てきているのですが、着想として、このラストから考えたのか、それとも物語を積み上げていく過程で聖書の一説に行き当たったのか、その辺りのことをお聞かせいただきたいのですが。
監督:10年ほど前に読んだ短編小説の中で、この映画に登場する”200年前の伝説”に出会いました。この伝説はルーマニアの北西部で実際に言い伝えられてきたもので、とても素晴らしいものだったので、これを現代的な物語にしようと10年ほど構想して、出来上がったのがこの作品です。そしてこのタイトルは”一粒の麦が地に落ちて死ななければ……”と言う聖書からの引用で、これは自分でも覚えていないくらい、自然に決まりました。
――死んでしまった男性と女性の関係についてなんですけど、最後伝説の教会の中で、二人の死体が婚礼をあげるような形になっているのですけど、男性が事故で死んでしまうとき、会いに行こうとしていたのが、イナという女性だったということでしょうか? またそうではなく、二人には一切関係がなかったというのであれば、そこには宗教的な関係があったのでしょうか?
監督:セルビアやルーマニアの正教会では、正装をして埋葬されます。それと同じく結婚するときも正装します。僕の中では、彼らは一度も会ったことがありませんし、出会いません。じゃあ彼はどこに行っていたのかというと、それもわかりません。ただ言えることは、彼らはスピリチュアルな部分で結ばれるべき二人であったということです。そして、死後彼らは結ばれるということです。それが神のご意志であったというのが、僕の考えです。
――物語の中でイナの母親がすごく遠くにいたり、母親の不在というのがあったと思います。それは悲しい歴史の結果なのか、もしくは監督の意図することがあるのが教えてください。
監督:残念ながら深い意図はございません。映画を作る上で物語の展開に不可欠な人を厳選して描いているわけで、その中に母親がいなかっただけです。あと、登場人物の中で全く何が起きているか知らない、全く気がつかないと言うキャラクターが一人いてもいいのではないかなと思いました。僕が子供のころに見たアメリカ映画の影響で、その映画は飛行機の機内で様々な出来事が起きるのですが、その中で、二人の乗客は泥酔して寝てしまいます。飛行機が無事着陸したあと、彼らは普通に下りて、その機内の中で何が起きたか全く何も知らないという。その映画を思い出して、その役を母親にしました。
――描かれていた現代というのは5年ほど前の設定のようですが、その意図はありますか?
監督:たまたま5年前に映画の製作を開始したからです。あの時は現代でした、今からすると5年前ですが。
――撮影などで技術的に難しいことはありましたか?
監督:雪の教会のシーンを撮ろうと思ったのですが、たまたまその年が暖冬で、その村に雪が降らなかったのです。おかげで1年損をしました。また、映画の製作中にコソボが独立して、その期間は、いろいろな許可を取るのが大変でした。僕はセルビア生まれのルーマニア人なのですけども、セルビア出身ということで様々な許可を申請して、それが通らなければ撮影ができませんでした。警察や政府の検閲などだいたい5つぐらいのものでしょうか、それをクリアしていくのに時間が掛かってしまいました。あとCGにも時間が掛かりました。そんなに大掛かりなCGではありませんでしたが9ヶ月ぐらい掛かりました。そういったことで5年もかかってしまいました。
――イオアナさんはご覧になった感想など、いかかでしょうか。
イオアナ:圧倒されました。また感動しております。この作品は昨今のルーマニアの監督が作る作品とは全く異なる作品でした。そういった意味でもとても今感動しています。この物語って言うのは語り継がれるべき物語だと思っています。それとこの撮影中にいろんな、また貴重な経験をさせていただきました。ただ見る側になると、違っていて、レイプのシーンなんかは見ているのもつらい、これは私だけの感想なのかも知れませんが、自分の知っている世界と違うということもあるからです。
――最後に一言
イオアナ:皆さまこの作品を楽しんでいただけましたか?(会場から大拍手)この作品を通してルーマニアのことを少しでも理解していただけたら幸いです。
監督:今、「世界がどこもいっしょでなくて、同じでなくて良かったな」と、この日本に来て強く実感しています。そして僕がこの映画で皆様に伝えたかったこは、世の中には変化や変革という、変わることを嫌がる、とても頑固な人がいます。それと同時に昔のものを受け継ぐということも大切です。そこの部分で人間は努力して昔のものを受け継がなくてはいけない。守らなくてはいけない。その努力が大切だということをこの映画を通して伝えたいと思いました。
シモーナ・ストイチェスクさん(女優)も参加したインタビュー
コチラから
『一粒の麦』
→作品詳細
©MRAKONIA FILM, WEGA FILM
シニツァ・ドラギン監督(以下:監督):私は今回初めて日本に訪れました。ホテルの周りを妻と散策して「なんて東京というのは母国のルーマニアと違うのだろうか」と話していました。だから皆様がこの映画を観て驚いたり、信じられなかったりした部分があるかもしれません。でも、願わくは、この映画が皆様とルーマニアをつなぐ、ひとつの橋になってくれたらと思います。そして、信じられないかも知れませんが、この映画の様なことが実際に起きているということをご理解いただけたら幸いです。
10/27 記者会見に登壇時のシニツァ・ドラギン監督
©2010 TIFF
©2010 TIFF
イオアナ・バルブさん(以下:イオアナ):実は私はこの映画を観るのが初めてなんです。だから、私にとってもプレミア上映でした。
(ドラギン監督から:わざと見せなかったんだよ。だから、イオアナも聞きたいことがあったらQ&Aに参加するといいよ。)
私は今日映画をご覧いただいた方が、この映画を気に入ってくれて、そして理解してもらえたら嬉しいです。
10/27 記者会見に登壇時のイオアナ・バルブさん
©2010 TIFF
©2010 TIFF
――矢田部プログラミングディレクターからプレイベントで、「この作品はとにかくラストが素晴らしい」と紹介されていたので見に来たのですが、本当に期待以上の素晴らしいエンディングだったと思います。そこでお伺いしたいのですが、この話は聖書の一説が最後に出てきているのですが、着想として、このラストから考えたのか、それとも物語を積み上げていく過程で聖書の一説に行き当たったのか、その辺りのことをお聞かせいただきたいのですが。
監督:10年ほど前に読んだ短編小説の中で、この映画に登場する”200年前の伝説”に出会いました。この伝説はルーマニアの北西部で実際に言い伝えられてきたもので、とても素晴らしいものだったので、これを現代的な物語にしようと10年ほど構想して、出来上がったのがこの作品です。そしてこのタイトルは”一粒の麦が地に落ちて死ななければ……”と言う聖書からの引用で、これは自分でも覚えていないくらい、自然に決まりました。
――死んでしまった男性と女性の関係についてなんですけど、最後伝説の教会の中で、二人の死体が婚礼をあげるような形になっているのですけど、男性が事故で死んでしまうとき、会いに行こうとしていたのが、イナという女性だったということでしょうか? またそうではなく、二人には一切関係がなかったというのであれば、そこには宗教的な関係があったのでしょうか?
監督:セルビアやルーマニアの正教会では、正装をして埋葬されます。それと同じく結婚するときも正装します。僕の中では、彼らは一度も会ったことがありませんし、出会いません。じゃあ彼はどこに行っていたのかというと、それもわかりません。ただ言えることは、彼らはスピリチュアルな部分で結ばれるべき二人であったということです。そして、死後彼らは結ばれるということです。それが神のご意志であったというのが、僕の考えです。
――物語の中でイナの母親がすごく遠くにいたり、母親の不在というのがあったと思います。それは悲しい歴史の結果なのか、もしくは監督の意図することがあるのが教えてください。
監督:残念ながら深い意図はございません。映画を作る上で物語の展開に不可欠な人を厳選して描いているわけで、その中に母親がいなかっただけです。あと、登場人物の中で全く何が起きているか知らない、全く気がつかないと言うキャラクターが一人いてもいいのではないかなと思いました。僕が子供のころに見たアメリカ映画の影響で、その映画は飛行機の機内で様々な出来事が起きるのですが、その中で、二人の乗客は泥酔して寝てしまいます。飛行機が無事着陸したあと、彼らは普通に下りて、その機内の中で何が起きたか全く何も知らないという。その映画を思い出して、その役を母親にしました。
――描かれていた現代というのは5年ほど前の設定のようですが、その意図はありますか?
監督:たまたま5年前に映画の製作を開始したからです。あの時は現代でした、今からすると5年前ですが。
――撮影などで技術的に難しいことはありましたか?
監督:雪の教会のシーンを撮ろうと思ったのですが、たまたまその年が暖冬で、その村に雪が降らなかったのです。おかげで1年損をしました。また、映画の製作中にコソボが独立して、その期間は、いろいろな許可を取るのが大変でした。僕はセルビア生まれのルーマニア人なのですけども、セルビア出身ということで様々な許可を申請して、それが通らなければ撮影ができませんでした。警察や政府の検閲などだいたい5つぐらいのものでしょうか、それをクリアしていくのに時間が掛かってしまいました。あとCGにも時間が掛かりました。そんなに大掛かりなCGではありませんでしたが9ヶ月ぐらい掛かりました。そういったことで5年もかかってしまいました。
――イオアナさんはご覧になった感想など、いかかでしょうか。
イオアナ:圧倒されました。また感動しております。この作品は昨今のルーマニアの監督が作る作品とは全く異なる作品でした。そういった意味でもとても今感動しています。この物語って言うのは語り継がれるべき物語だと思っています。それとこの撮影中にいろんな、また貴重な経験をさせていただきました。ただ見る側になると、違っていて、レイプのシーンなんかは見ているのもつらい、これは私だけの感想なのかも知れませんが、自分の知っている世界と違うということもあるからです。
――最後に一言
イオアナ:皆さまこの作品を楽しんでいただけましたか?(会場から大拍手)この作品を通してルーマニアのことを少しでも理解していただけたら幸いです。
監督:今、「世界がどこもいっしょでなくて、同じでなくて良かったな」と、この日本に来て強く実感しています。そして僕がこの映画で皆様に伝えたかったこは、世の中には変化や変革という、変わることを嫌がる、とても頑固な人がいます。それと同時に昔のものを受け継ぐということも大切です。そこの部分で人間は努力して昔のものを受け継がなくてはいけない。守らなくてはいけない。その努力が大切だということをこの映画を通して伝えたいと思いました。
シモーナ・ストイチェスクさん(女優)も参加したインタビュー
コチラから
『一粒の麦』
→作品詳細