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2010.10.27
[イベントレポート]
アジアの風/レハ・エルデム監督全集『コスモス』10/27(水) Q&A

レハ・エルデム監督

10月27日(水)、アジアの風 レハ・エルデム監督全集『コスモス』の上映後、レハ・エルデム監督に登壇いただき、Q&Aが行われました。
©2010 TIFF

――監督は今回、第23回東京国際映画祭に6作品、全監督作品を持ってきてくださいました。この『コスモス』が監督最新作です。これまで複数の作品をご覧になった方もいらっしゃるでしょうし、これが初めてという方もいらっしゃると思います。今日はたくさん質問を受け付けてまいりたいと思います。今日が監督最後のQ&Aになりますので、どうぞはりきってご質問ください。

Q:これまで観たことがない映画でいい意味でのショックをものすごく受けています。
映画のなかでときどき動物が出てくるんですけど、個人的には、そのシーンからルイス・ブニュエル監督の作品を連想したんですが、監督はどういう意図で描いたのか、あと、主人公のコスモスから少しイエス・キリストのような感じを受けたのですが、監督ご自身はそういうことは意識されましたか?

レハ・エルデム監督(以下:監督):まず、動物のことですが、映画の中で見えている限り、生きている存在するものとして描いている、ありのままの姿です。なんらかの象徴的な意味があるものではありません。
そもそも我々と動物の間にある厳しさ、無残さ、寛容さのないことが表れています。
コスモスに関していえば、彼は救世主(イエス)ではありません。彼はむしろ自分の道を見つけようとしているけれど、見つけられる状態でもない人なのです。とてもピュアな人なので一切の現実性はないわけです。私にとってはスーパーヒーローのような理想的な人なのですが、残念ながら我々にそのようになれる可能性はないわけです。

Q:コスモスを演じている方は『ラン・フォー・マネー』に出ていた役者さんですか?

監督:そうです。『ラン・フォー・マネー』に出ていたセルメット・イェシルです。

Q:画面に見えているもの以外の音が印象に残りまして、目に見えているもの以外の想像を掻き立てられるサウンドだったのですが意識されていますか?

監督:映画は映像と音声の2つから構成されているわけですが、音声は映像に伴わさせる存在、映像を完成させる役割のものとして使っています。音自体の持つダイナミズムを利用しますと、映像と音声の両方がぶつかり合うとき、出会うとき、または別れるとき、別の機能が出てくるのです。これは他の芸術にはなくて映画にこそあるものだと思っています。私は枠外の力という意味でこれを言っているのです。
描かれているのは外の世界の厳しさ、脅威というもので、音がひとつの音楽となっている構成です。音声、映像の2つが律しているわけです。

私が好きなのは想像させてくれる映画、見る側を自由にさせてくれる映画です。
見えないものでも音があることによって自由に自分なりに想像することが出来る。
映画を見た人が自分で作品を見た感想を完成させることができる、そういう意思の元に制作しています。
©2010 TIFF

Q:脳細胞を刺激されるような音使いの作品でした。そしてコスモスとネプチューンの会話も独特ですが、どういうところからの発想なのでしょうか?

監督:何か秘められた意味はないです。コスモスとネプチューンはお互いに異なる人であり、触れ合うこともないけれど、冗談を交わしながら愛し合っていて一緒にいる。コスモスは彼の望みを共に分かち合ってくれる人に出会えた。だから彼女の名前がネプチューンなのですね。ネプチューンというのはそもそもあり得るものではない。

Q:監督にとってネプチューンのような人はいますか?

監督:私がネプチューンを見つけるためにはコスモスにならなければならない。だけどそれはまず無理でしょう。

Q:監督の作品は美しい女性が出てきますがどうやって探してくるのですか?

監督:映画に出ている女性は普段の状態でもきれいですが、映画の中でこそのフィギュアとしての美しさがあると思います。男性たちもなかなか好男子だと思います。

Q:登場人物の中で私がいちばん美しいと思ったのはお婆さんだったんですね。どうやってあのような素晴らしい人を見つけてくるのか。キャスティングについてお伺いしたいのですが?

監督:私をとても興奮させてくれるような質問をありがとうございました。お婆さんが抱えている慈愛の深さ、それがあなたにも響いたのだと思います。映画の中でもっとも大事な材料は人間でして「顔」ですね。役柄について私はキャラクターというのではなくフィギュアという概念を使っています。映画というのは二次元ではなくてスクリーンに映し出されます。役柄の顔、身体のリズム、視線…他にも定義づけられない様々なことがあります。役柄にふさわしい人を常に探していますし、重要視しています。
『時間と風』でも、とても小さい役だったのですが、その役に合う人を見つけるために撮影を二ヶ月ストップさせたこともあるんです。

Q:映画の舞台となったのはトルコの北東部のほうにあるカルスで、冬で雪も多い非常に困難な状況下だったと思いますがどうだったでしょうか?
2つ目の質問は、壁に“君を愛さなければよかったのに”という文言がありましたが、監督が演出で描かれたのか、もともとそこに描かれていたものなのでしょうか?

監督:壁にあった言葉は我々が描いたわけではなくたまたまそこに描かれていました。
厳しい寒さの中でのロケについてですが、カルスはイスタンブールから飛行機で約1時間かかる土地です。街の日常生活は平穏に流れていてとても人間的です。だから我々は3mくらい雪が積もるマイナス35度の寒さの中でも、カメラの前に釘付けになって撮影が出来たのです。その後、いろいろ具合が悪くなったりはしたのですが(笑)
もちろんいろいろ着込んだりして防寒もしているのですが、一定の温度以下になると効果を成さないし、携帯電話もあれほどの寒さの中ではつながりません。

Q:兵隊たちがコスモスを探しに来るシーンでやっと見つけたということを言っていたのですが、泥棒をやっと見つけたということを言っているのですか。それともコスモスを追っていた人たちがあの街にもやって来たということなのでしょうか。

監督:冒頭から最後までに起こったすべてのことが理由で彼コスモスは追い立てられていたのです。コスモスはどこでもおそらく同じようなことをやって同じように去っていったと思います。
コスモスは行き着いた街で“彼は悪い人ではない”ということがわかりながらも、“他者”という状況にされてしまうんですね。
コスモスはみんながしたいけれど出来ないことをやっているからですね。
わたしたちも同じような人が周囲にいたら同じことをするのではないでしょうか。


レハ・エルデム監督インタビュー
第1回はコチラから
第2回はコチラから

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